肛門科専門医の女医 佐々木みのりの自己紹介
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(2023年7月06日加筆修正)
副院長の佐々木みのりです。
初めての方もおられると思いますので、改めて自己紹介をしたいと思います。
患者さんからよく尋ねられるのですが院長と私は夫婦です。
兄妹でも姉弟でもありません(笑)
診療所の歴史については最初のブログで書きました。
当院(旧 大阪肛門病院)は1912年(明治45年)に設立され今年で107年になりますが、私たちが継承したのは1998年なので私たちの歴史は今年で25年になります。
107年のうちの21年ですから、私たちの歴史は本当に短いです。まだまだです。
この記事の目次
元皮膚科医という異色の経歴を持つ肛門科医
私は最初、皮膚科医をしていました。
皮膚科医の経歴があると言っても、皮膚科医をしていたのは医師になってからたったの4年です。
肛門科医になってからのほうが長いのですが、たった4年の皮膚科医としての経験が、その後の肛門科の診療の中に活きていて、どれほど役立ったか分かりません。
最初から肛門科医にならなくて私はラッキーだったと思っています。
皮疹の診方、外用剤の選び方・使い方、肛門周囲の皮膚疾患については皮膚科学的な知識と経験が大きく活かされています。
学会でのセミナーや講演依頼があるのも、私の異色の経歴によるところが大きいのです。
肛門科医になったきっかけは倒産しそうな病院を手伝ったことだった
すごくプライベートな恥ずかしい話なんですが・・・
主人の父(3代目院長)が急死してから大阪肛門病院は倒産の危機でした。
主人が大学5回生の時に亡くなったため、本当に大変だったようです。(この頃は私たち、まだ付き合ってなかった😓)
私たちが東京から大阪に戻った時は病院は火の車でした。
事務長から「このままやったら3ヶ月で倒産する」と聞かされ、職員は蜘蛛の子を散らしたように辞めていき、人手不足に陥った病院を手伝うために入りました。
丸一日病院を開けていても一人も患者さんが来ない日もあり、「明日も誰も来なかったらどうしよう・・・」と不安で夜も眠れませんでした。
朝を迎えるのが怖かった。
「このまま夜が明けなければいいのに・・・」と1歳になったばかりの長男を抱っこして、眠れぬ夜を過ごしたことを今でも鮮明に覚えています。
そんな状況の中、少しずつ患者さんが来て下さるようになり、目の前の患者さんを死ぬほど大切にすることから始めました。
まだ若い駆け出しの医者です。
知識も経験も技術もありません。
手術なら自分よりも上手い先生がいっぱい居るし、症例経験数だって勝てない。
そんな自分たちに何が出来るだろう?
そう考えた結果が「患者さんの話をとことん聞くこと」でした。
自分たちが自由診療として提供出来る強みは「時間」しかないと思い、患者さん一人一人とゆっくりじっくり向き合う時間を持ちました。
必要なことは全部、患者さんが教えてくれました。
患者さんを通して教科書に書いてないことをたくさん知りました。
患者さんが根気よく向き合って下さったおかげで、様々な経験が出来ました。
どうしたら目の前の患者さんの役に立てるんだろう?
私たちにしか出来ないことって何だろう?
と必死で考えてきた結果が今の診療です。
病院が落ち着いたら皮膚科に戻るつもりでした。
でも・・・
患者さんからの「辞めないで」という声と、古参のスタッフから「ここで大輪の花を咲かせて下さい」と頭を下げられ、自分の医師としての人生を考えました。
皮膚科は何も私がしなくても、たくさんやりたい女医さんがいるし、私じゃなくても誰も困らない。
だけど肛門科は女医さんがいない(当時、関西では皆無だった)。
肛門科はキタナイ、クサイ、カッコワルイの3Kの仕事。
花形じゃないし、進んでやりたい仕事じゃない。
だったら人がやらないことを私がやろう。
そう思って皮膚科を辞めて肛門科医に転身しました。
ある意味、仕事に選んでもらったのかもしれません。
女医による肛門科女性外来を開設
男性医師にお尻を見せるのが恥ずかしい
そんな女性のニーズに応え、1998年(平成10年)7月に週に1枠だけ女性医師による肛門科女性外来を開設しました。
それが女性外来の始まりでした。
25年前は5名しか居なかった肛門科の女医
1998年に初めて肛門科の学会に参加した当時、肛門科の女医さんは5名くらいしか居ませんでした。
その当時、専門医を取得していたのは1〜2名だったのではないでしょうか。
以前にも記事にしました↓
「女医さんだから」ではなく「みのり先生だから」選んでもらいたい
それから専門医を取得するのに10年かかりました。
私が肛門科医になったのは結婚・妊娠・出産を経た後でした。
子育てをしながら肛門科診療をやり、同時に外科研修も他の病院でさせて頂いていたので、随分時間がかかってしまいました。
肛門科の師匠にも外科の師匠にも恵まれ、医師としても人としても尊敬できる二人の師匠は今でも私の目標です。
たくさんの人に支えられ、2007年(平成19年)に専門医を取得しました。
女医専門医として大勢の先生方から祝って頂きました。
肛門科は治ったら患者さんが通って来なくなる科
皮膚科と肛門科の決定的な違いに気付くのに1ヶ月もかかりませんでした。
皮膚科はアトピー性皮膚炎や蕁麻疹など、慢性疾患の人が定期的に通院され、投薬治療が続くことが多いです。
そう。ずっと通って来られるんです。
でも肛門科は違ったんです。
治ったら終わり。
完治終了したらお別れなんです。
特に手術した患者さんが治って、「患者では無くなる」瞬間が嬉しくもあり、寂しい瞬間でもありました。
うちの診療所では「卒業」と呼んでいましたが、まさしく「卒業生」を送り出す先生の気分でしたね。
「もう帰って来たらあかんで(笑)」って送り出すのですが、別に痔でもないのに遊びに来て下さる患者さんもおられ、患者さんとの関わりや人と人としての触れ合いがたまらなく嬉しくて、なんて幸せな仕事をさせてもらっているんだろう・・・と自分の中に感謝の気持ちが生まれました。
そんな私たちの気持ちが診療所の理念になっています。
本当に大げさですが
お尻の治療を通して
痔の治療を通して
来られた患者さんを幸せにしたい
笑顔で帰したい
そんな風に思っています。
涙を流す人が多い肛門科外来
皮膚科の外来で涙を流す患者さんを見たことはないのですが、肛門科の外来では結構おられます。
命に関わる病気ではないのに、こんなにも患者さんを追い込んでしまう痔という疾患って何なんだろう?って不思議でした。
家族にすら内緒で長年悩み続けている人
痔のせいで旅行にも行けない人
イボ痔が飛び出て戻すのが大変だから外ではトイレに行けない人
痔があるから好きな彼と結婚できない人
痔のことを内緒にして結婚した人
受診するまでに10年かかりました・・・と言われる患者さんも多いです。
それくらい
肛門科を受診するのに勇気が必要なんですね(泣)
初めて来られた時は緊張してこわばった表情で入って来られる人も多いです。
そして一番多いのが手術を覚悟して受診されるケース。
手術が必要ないことを告げるや否やホッとして涙を流されることが多いです。
中には号泣する人もおられます。
手術が必要な痔は非常に少ないので、怖れずに受診して欲しいですね。
痔にまつわるよくある勘違いを正したい
このブログでは私たちの診療の中で患者さんから聞かれること、患者さんがしている「よくある勘違い」などを取り上げ、痔という病気についてもっと知って欲しいと思い、これから記事を書いていきたいと思っています。
私たちの記事が痔や肛門やお尻のトラブルで悩める人の役に立てれば幸いです。
診療所のセラピードッグ「ラブ」🐾
ラブはたくさんの患者さんを癒してくれています
いつもお仕事ありがとう
元皮膚科医という異色の経歴を持つ肛門科専門医。現在でも肛門科専門医の資格を持つ女性医師は20名余り。その中で指導医の資格まで持ち、第一線で手術まで担当する女医は10名足らず。元皮膚科医という異色の経歴を持つため、肛門周囲の皮膚疾患の治療も得意とし、肛門外科の医師を対象に肛門周囲の皮膚病変についての学会での講演も多数あり。
「痔=手術」という肛門医療業界において、痔の原因となった「肛門の便秘」を直すことによって「切らない痔治療」を実現。自由診療にもかかわらず日本全国や海外からも患者が訪れている。大阪肛門科診療所(旧大阪肛門病院)は明治45年創立の日本で2番目に古い肛門科専門施設でもあり日本大腸肛門病学会認定施設。初代院長の佐々木惟朝は同学会の設立者の一人である。
2017年10月には日本臨床内科医学会において教育講演を行うなど新しい便秘の概念を提唱。